一章         白い雷  

 



 二日続いた雨はようやく上がった。

今朝はすっきりと晴れていて気持ちがいい。

そこかしこの水たまりが太陽の光を反射しきらきらと輝くさまは見ていてなかなかに美しいものだった。

私は家を出て駅に向かう。その途中、信号待ちのため横断歩道の前で歩みを一時止めた。

手持無沙汰な時間は、歩いてきた綺麗な道でも見ていようと思って振り返る。

期待を裏切らない風景がそこにある。

「んー……綺麗」

 つい言葉に出た。呟く感じだったので声量は多くないが、誰かに聞かれたかと思ってあわてて口を押さえて周囲を見回す。誰もいない。

「本当だね」

「はうわっ!」

 と思ったら真後ろから声をかけられた。驚いて心臓ごと体が跳ね上がり、それから振り返る。

「あ、ごめんね」

 若い男の人が立っていた。

 その人に私はつい思ったことをそのまま口走った。

「わ、白っ……」

すると男の人は自然に笑う。

それから、透き通った声で言った。

「この格好を初めて見る人は、みんなそう言うよ」

 真っ白な人だった。

 服が真っ白。

白いスーツ、白いワイシャツ、白いネクタイ、白いパンツ、白い靴に白い鞄。

全身を白い服で固めている。

 肌も白かったが、服の白さのせいか顔色が悪そうには見えず、血色はよさそうだった。

 そして身長は高く顔立ちは端正だ。線が細くそれでいてしなやかな感じ。まさかホストだろうか。

 そのやや長めのぱらりと垂れた細い髪も、染めているのか白い。本当にありえないくらい白い人だった。

「あ、失礼しました……」

 私は一応謝った。すると白い人は朗らかに笑って、手をひらひらさせた。白い手は指が非常に長く、ぱたぱたと振っているはずなのにゆらゆらと幻想的に揺れる。

「いいんだよ。素直なんだね、きみは」

 白い人は目を細めてからこう続けた。

「白はね。ぼくの二番目に好きな色なんだ」

 妙に意味深だ。そう言われると一番好きな色が気になってくる。

「あ、信号変わってるよ。駅のほうでしょ、学生さんだから」

 ぼくもそうなんだよ、と言って白い人は歩き出す。

 私も進行方向は同じなので、その人についていく形となった。

「さっき、水たまりを見ていたよね?」

 彼は歩きながらそう聞く。

「あ、はい」

「綺麗だよね。太陽の光を反射して、宝石のようだった」

「そ、そうですね……」

 流石に宝石とまでは思えなかったが、目の前に近づいてきた新しい水たまりを見ているとそうも思えてきた。

 宝石かもしれないと。

「反射するって現象はなかなかいい。自分を主張していないからね」

 するとその白い人はそう言ってひとり頷いた。

「でも、それだけじゃまだ余計だと思わないかな?」

 私に言われても。

 そう思って困っていると彼は答えを待たずに続けた。

「一番綺麗なのは、やっぱり透過だと思うんだ。自分は一切主張しないで、他者の美をプラスにもマイナスにも変えずに見せる」

「は、はあ……」

 どうもよく分からない私を見て察したのか、彼は再び謝った。朗らかに。

「ごめんごめん。見知らぬ人に変な話聞かされてるわけだもんね」

「い、いえ……ただちょっと、難しかったかなって」

「いいよ、忘れてくれて。最近は物騒だもんね。知らない人との接触は可能な限り避けたほうがいいんだよね。袖擦り合うのも多生の縁、なんて言葉は涙を流しているよ」

 今度の笑顔は少し寂しそうだった。

「最近世を騒がせてる、あの事件もあるしね」

「目をくりぬく……ですか」

 うん、と白い人は言った。

「怖いよね。やり口もそうだけど、目が見えなくなるって本当に怖いことだと思うんだ。この美しい世界が、全く見えなくなってしまうから」

 今の世界が美しいかはともかく、確かに視覚を奪われるというのは恐ろしいと私も思う。

 聴覚や嗅覚ならまだいい。なくなってはもちろん困るわけだが、視覚を奪われるということはそれらに比べて言いようのない恐怖が起こる。

 真っ暗な闇で生き続けることだから。

無音と無明の世界だったら、私は無音を取るだろう。

 それこそ漠然とした、真っ黒い恐怖が心を侵食していった。

 空はこんなに雨上がりで青く澄み渡っているのに。

「大丈夫?」

 そんな私は、見知らぬ白い人に心配されてしまった。

「いえ、だいじょうぶです。ちょっとその事件のこと考えてて……私がその犯人に捕まって、目をくりぬかれちゃったら大変だな、なんて」

「そうだね……ぼくもそれは不安だよ。ぼくだったら真っ暗な闇に耐えきれずに、発狂して自殺してしまうかもしれない。実際、やられちゃった人たちの中には自殺をしたケースもあるって話も聞いたよ。……痛ましいよね、ほんとうに」

 彼は目を伏せて、鞄を持っていないほうの手で胸を押さえた。ひどく悲しんでいるようだった。

「罪のない人間の目をくりぬいて、何が楽しいのか、わかる?」

 そういえば今の台詞は朝のテレビで司会者が叫んでいた言葉だ。彼もあれを見ていたのかもしれない。

「私にはちょっと……犯罪者の狂った心理って言うんですか? そういうのはわかんないです」

 私は素直にそう答えた。分からないものは分からない。ましてや犯人は私やこの白い人のような「普通人」とは常軌を逸した存在で、思考や心理だって我々とはかけ離れているに違いないのだ。

「狂ってるよね、確かに……彼、いや彼女かもしれないけど、何がしたいんだろうね、ほんとうに。ぼくも二十一年生きているけど、こんな妙な人の心理はこれだけ生きても分からない」

 二十一歳なのか。

 そう思っていると彼は少し残念そうにこう言った。

「駅についちゃったね」

 目の前には駅舎、それに吸い込まれていく人々。

「ぼくは下り線だけど、えっと……津涼(しんりょう)高校だから上り線なのかな?」

 鞄の情報をその目で読み取られたらしい。私は隠すこともなかったので、はいと答えた。

「実は目はいいんだ。コンタクトしてなくても両方2,0でね」

 白い人は得意げに笑う。

 ともに定期で改札を抜ける。ホームは島式で両端に電車が来る構造だったのでそこまで彼と一緒だった。

 すぐに上り線のほうに満員電車が滑り込んできた。

「じゃあ、気をつけてね」

 白い人はそう言って私を見送った。

 私の乗った電車が動いてからも、彼はずっと優雅な仕草で私に手を振っていた。

 

 

その日の午前中、東京郊外で老婆が一人行方不明になった。

 

 

「おいニュースニュース! ついに東京でもあったってよ、目玉くり抜き! 西のほうでばーさんが!」

 白い人との出会いから二日後の朝、クラス一耳の早い男子がそう叫んで教室に駆け込んだ。

「うそー!」

「もう知ってるよ」

 教室内はこの二色の声で満たされる。

 騒ぎが収まらないままの教室に、スピーカーから電子音が響いて生徒たちをにわかに黙らせる。

『緊急で全校朝礼を行います。速やかに体育館に集合してください』

 それが終わるとまた教室内は喧騒に包まれる。

「ほーら来た」

「うえ、だりいー」

「東京で起こったってことはこれまでのこと考えるとしばらくは東京に来ないんじゃないかな?」

「いやでも犯人の行動は読めないって言うわよ」

「一限、短くなんねえかな」

「ほらみんな教室の外に並んでー、俺が怒られるからー」

 教室の外や他の教室からも、ここと似た感じの騒ぎが聞こえた。

 

 

「えー皆も知っていると思うが、今、日本、とりわけ関東を騒がせている連続犯罪、それがついに東京で起こった」

 全校生徒を集めての緊急朝礼で教頭が壇上に立ち、話を始めた。

「今回は郊外での事件だが、次にいつ23区に犯人が出没するか分からない。細心の注意で登下校にあたって、可能な限り複数での行動、および防犯ブザー等の携帯を……」

「ほらそこいつまで喋ってんだ!」

 教頭の話はあまり生徒たちに伝わらないらしい。三年生の体育教師が大喝し、場が静まった。

「えー、捕まってからでは遅い。捕まった被害者はみな例外なく眼球をえぐり取られている。そうならないためには一人一人が……」

「話をやめろって言ってるだろうが!」

 教頭の話に体育教師の大喝が挟まり、その繰り返しで朝礼は一時間目までずれこんだ。

 

 

昼休み、私は仲の良い友人グループ内で弁当を食べながら、眼球抉摘事件について話をしていた。

「結局さー、何の対策も立てられないんだよね。やられる時はやられちゃうし、へまするような犯人でもないみたいだしね」

「それでうちの学校の生徒が被害に遭ったりしてから、ようやく集団下校とかの措置をとるのは目に見えてるよね」

「警察は何してんだろね?」

「もうローラー作戦でよくない?」

「それには莫大なお金と時間が……」

「んなこと言ってる場合じゃなくない? 犠牲者はもう十五人とかそこらだよ?」

 私はいつもどちらかといえば聞きに回っているほうなのだが、やはり会話を振られることもある。

「ジュンはさ、どうしたら犯人捕まると思う?」

「う、うーん……」

 そんなこと言われても、一介の高校生の知恵でどうにかなるような犯人ではないだろう。

 私は返事の代わりに卵焼きを口に放り込んだ。

 

 

津涼高校で初めての被害者が出たのは、それから約一月後、期末テストの真っ最中だった。

 

 

「二年の村上がやられたって!」

 耳の早い男子の情報は、その時私も初めて聞いたもので驚きを隠せない。他のクラスメイト達もそうだったようで、一気に教室内、および校内が混乱で満たされた。

 被害者の名前は村上智代(むらかみともよ)。名前も初めて聞いたほど、私とは接点がない人物だった。

 すぐに集団下校の措置が取られた。

 生徒たちは文句を垂れながら、行列を作って駅まで向かう。

 半日たち、地域の人間も何が起こったのか知る人もいるせいだろう、こちらを見てひそひそと噂話をされたり、心配そうに眺められた。

「こんなこと、意味ないと思うけどね」

 すぐそばのマユミがそう私に耳打ちする。

「ここで起きたってことは、もうしばらくはこの辺には現れないでしょ」

「そうだと思うけど……」

 私はそれ以降何も言えず、ただ漠然とした不安を抱えて歩みを進めていった。

 

 

 三日後、津涼高校で二人目の被害者が出た。


     


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