二章         夏休み




「ん……」

 目が覚めると、私は知らない部屋のベッドに寝かされていた。

 否、知らなくはない。

 旅行などで宿に泊まった翌朝、自分がなぜここにいるのか一瞬だけ理解できなくなる、そんな感じだった。

(そっか……)

 私は、捕まったのだ。

 悪人に。

 それも今の日本を一番騒がせている、猟奇的快楽犯罪者に。

 誘拐とも拉致とも言えるような状況。

 けれど私は。

 ある程度は望んでここにいる。

(もっとも、望まなかったら目をくり抜かれちゃうからだけど)

 彼はそこにあった粗末なベッドを、ベッドパッド、敷布団、シーツ、掛け布団、枕といった構成部品をすべて取り換えて快適な環境に作り変えてくれた。

 おまけに枕は三つも買ってきて、「どれがいい?」なんて言って硬さを選ばせてくれた。

 それ以外は、私にあてがわれた部屋は相変わらず簡素なものだけれど。

 彼は私が寝る前に丁寧に部屋を掃除してくれたおかげで、埃一つない清潔な環境で眠りにつけた。鏡台に置いた小さなアロマキャンドルに火をつけ、その香りも私を快眠に誘っていた。

 ずいぶんともてなされたものだ。

 人質をとった強盗だとか、性行為を目的に乱暴に運ばれただとか、そういったものとはぜんぜん違う。

 むしろ旧友が訪れてくれたときの主のような。

 精一杯の優しさと思いやりを、彼は見せた。

「ごはんだよー」

 部屋の扉が開き、彼が顔を出してそう言う。そしてすぐに引っ込んだ。

 この通り、私のために朝食まで作ってくれるのだ。

 私は目をこすり、洗面所で顔を洗って簡単に髪を整えてからリビングに出た。

「おはよう。よく眠れた?」

「はい……」

 私の体を今包んでいるのは、彼があてがってくれたパジャマだ。知らない男に寝起きの姿を見せるなど、なんとなく危険な感じがするのだが。

 目の前の彼は、そんなこと――そんな小さなことなど考えにも及ばなさそうで。

 今日も白い服で全身を包んだ線の細いその人は、人間の眼球をくり抜き続ける、異常な性癖を持つ人物。

 水無月、鏡也。

 正体目的素性不明、日本中を恐怖と混乱に陥れている連続眼球抉摘事件の犯人、その人。

 らしい。

 

 

 高級そうなテーブルにつき、料理を待つ。

「さすがにさ、お嬢様、朝食の用意ができております、今朝のメニューはなんとかサーモンとホニャララサラダです、紅茶はどこの何ですだなんて、執事みたいにはできないけどね。でも人並みには作ったよ。朝ごはんは健康の基本だもんね」

鏡也さんは冗談っぽくそう言うと、生野菜をたっぷり入れた大きな透明のサラダボウルと小皿二枚を持ってきた。

 それから台所に取って返し、今度は焼けたトーストを乗せた大皿を持ってくる。

 そしてドレッシングとジャム、マーガリンなどを持ってきて、最後に紅茶を私の目の前で丁寧に淹れて、さあどうぞと言って勧めた。

 もう毒などは入っていないことは分かるし、仮に入っていたとしてもいちいち勘ぐることは無駄だと思った。

 鏡也さんはフライパンを持ってもう一度現れた。

「はい、目玉焼き」

 そして形を崩すことなく、私の皿にそれを乗せる。

「目玉焼きって言っても目玉を焼いたものじゃなくて、卵の黄身が目玉みたいだから目玉焼きって言うんだよ」

 分かってる。

「見れば分かります……」

 目玉をくり抜く犯人が言うと、ただの寒いギャグがドン引きのギャグになる。どちらにせよ笑えないが。

 鏡也さんは自分の分も用意すると、私の向かい側に座って食べ始めた。

 真っ先に目玉焼きを食べている。

「あの……」

「鏡也、でいいよ」

「じゃあ、鏡也さん」

「なに?」

 一晩寝ると聞きたいことが湧きあがってきて、私はこの目玉くり抜き男に聞いてみる。

「鏡也さんは、本当に目をえぐってるんですか?」

「そうだけど?」

 まるで彼は「本当に一流大学を出ていたんですか?」と聞かれたときのリアクションのようにしれっと返した。

「あ、見る? 今までにぼくが取った眼球」

 彼は嬉々として立ち上がる。

「いいです……心の底から遠慮します」

 表情といい瞳の輝きといい、まるで自慢の昆虫標本を部屋から持ってきて得意げに見せようとする小学生のようだった。私は慌ててそんな彼を止めた。眼球を見ながら朝食なんて食べたくない。

 けれど今のでこれだけはわかった。ある意味当然なのかもしれないが、彼は抉った眼球をどこかに保存している。

 コレクションのつもりなのだろうか。

 新たな疑問が湧き起こり、私はサラダを小皿にとりながらもう一つ訊く。

「取った目……どうするんですか? 何かに使うんですか」

「ん、食べるんだけど?」

(…………)

 私はとんでもない言葉に身を完全に硬化させてしまった。

「念のため言っとくと、嘘だよ?」

 何が念のためだ。全然念のためじゃない。この人が言うと違和感が全くないのだから困る。

「おもしろいね、純って」

 面白くもなんともない。どちらかと言えば面白みのある人間はこの犯罪者のほうだ。だいたい、こんなあくまで普通の女子高生を誘拐して一緒に住もうなどと言っておいて、強姦か何かされるかと思ったら何もしてこない、むしろなんか普通に朝食タイムになっているのが逆に不思議だ。強姦されたいなどとは露ほども思わないけれど。

(そういえば……)

 今は朝のはずだ。なのに朝だという感じがあまり湧かない。

 少し考えて、あたりを見回して、それは外の光を取り込んでいないからだと気付いた。

 そしてそれは窓がなかったからだと気付いた。

「あの、鏡也さん、ここって地下なんですか?」

「そうだよ」

 鏡也さんは相変わらずさらりと返した。地下では電波が届かない。どちらにせよ彼から受け取った携帯は、こちらからの発信はほとんど不可能にされている。インターネットはかろうじて見られたが、私を助けてほしいと手近な掲示板に書き込もうと思って試した結果はエラーだった。

 受信というか、受け身なことしかできない。

(まずはどうやって地上に出るか、だよね……)

 そんなことを考えながらトーストをくわえる。パリッと焼けているのに中はふんわりしていた。

「二人でご飯って、なんかいいよね」

 彼は私の真向かいに座っている。私の食べている姿はほとんど全部見られている。彼はずっと私を眺めながら、なのにいつの間にか彼の皿は空になっていた。

「そうですか?」

「ぼくはいつも一人でご飯だからさ」

 別段一人でも二人でも大勢でも変わらないと思う。まあ、目の前にいる相手のインパクトが強すぎて今回は多少変わると思うけれど、だからと言ってテンションが高くなるなんてことはない。すると鏡也はなおも聞く。

「純ってさ、今まではご飯どうしてたの」

「家ではまあ……一人か二人です」

「お母さんと?」

「はい」

「じゃあ、男の人と食べるのってあんまないのかな。あっ、彼氏とかいるの?」

「いませんよ、そんなの……」

 いたらいいとは思うが。

「ふうん……可愛いのに不思議だな」

「……からかわないでください」

 どうせまた、言葉にほとんど意味を乗せずにさらっと言ったのだろう。私は少しだけ不快になってそう言った。不快と言えばここにこうしていること自体が不快なのだが。

「本当にそう思ってるよ、ぼくは。さらった理由にそれも少し入ってるしね」

 私は言い返せなくなって、トーストを食べ続けた。

「ごはん食べたらさ、一緒に出かけない?」

「え……」

 普通、誘拐とかしたら被害者を一歩も外に出さないのではないか。

「やだなあ、監禁じゃないんだから」

 くすくすと白い犯罪者は笑った。

「服とかいろいろ必要でしょ? まして女の子なんだからなおさら。それともぼく好みの服着る? ナース服とか」

「嫌です……」

「じゃ、行こう、うん決定」

 彼は心底うれしそうにガッツポーズをとった。行くとはまだ言っていないんだけど。

 でも、外に出て情報収集することは大切だ。自分が今どこにいるのかくらいは知っておきたい。そして脱出への足掛かりとするのだ。



     


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