四章          私の答


「いやー、遊んだし食べたなあー。もう三万円以上使っちゃったかもしれない。特にあのくじ引き」

 財布を振って、鏡也さんはそれでも可笑しそうに笑う。

「ごめん、私もテンション上がっちゃって、ついいろいろ……」

「ううん、いいのいいの。純子が楽しんでくれたらね、お金なんてどうでもいいんだ」

 そろそろ、祭りが終わる。

 人は消えていき、屋台も片付けの準備を始めていた。

「もう帰ろうか」

「そうだね。……あっ、じゃあ最後に綿菓子欲しい。食べながら帰りたい」

「うん、待ってて、すぐ買ってくるよ」

 鏡也さんは私を置いて、来た道を走って戻って行った。

 私はしばらく、ぬいぐるみを抱いてそこで立って待っていたのだが、

「ねえねえ、何してんのぬいぐるみなんか抱いて一人で」

(わっ……)

 不自然なほど明るい緑色の髪を逆立て、唇の端にピアスを開けた柄の悪い男の人――おそらく私より二つ三つ年上だろう――が、ポケットに手を入れたままひょこひょことやってきて、そう声をかけた。

 彼の後ろには、仲間だろうか、目つきの悪い太った男の人と、背が高くて派手な柄のシャツを着てサングラスをかけている男の人が付いている。

「あ、あの……」

 私はこういう人には慣れていない。何となく怖いのだ。こういう、携帯小説に出てきそうな不良っぽい男の人は。

「彼氏とかいないんならさ、今から俺らと遊ばなーい?」

 調子っぱずれな高い声で、首を妙な角度に曲げながら詰め寄ってくる。

「か……彼氏というか、連れがいますから……」

 私は後ずさったが、仲間なのか子分なのか、背の高いほうが回り込んで退路をふさいでいた。

「んなつれないこと言わないでさー、遊ぼうよー」

(や、やだ! 助けて、鏡也さん!)

 私は心の中で、彼の名前を呼んだ。そうしながら、彼が去っていった方向、彼が来るであろう方向を、首を伸ばして見ようとするが、私の視界には白い服の人は見つからない。

 それ以前にもう人がまばらで、助けを求めても誰も来ないかもしれない。

「ほらー、連れなんかいないんでしょ最初からー。こんなとこにわざわざ一人でいて、誘ってくれるのを待ってたとかそういう系でしょ」

「違います……!」

 四人に囲まれ、私は逃げ出せない。

(え、四人……?)

 よく見まわす。

 緑色の髪の、前に出てしつこく迫ってくる人。

 白い髪で白い服の、全身が白い妙な人。

 背が高くて派手な柄の人。

 太った人。

(……いる……)

 鏡也さんが、いつからいたのか、彼らの中に紛れ込んでいるではないか。

「うお、なんだてめえ!」

 緑色の人が、闖入者に驚いて頓狂な声を上げる。

 それに対して鏡也さんは平然と、

「いやー、ぼくもその娘が欲しくなっちゃってね。混ぜてもらえないかな」

 そう返した。

「ああん? なに寝ぼけたこと言ってんだ、こら」

 そう言って不良は私から鏡也さんに視線を移し、極端な姿勢で覗き込むように彼を上目づかいで睨みつけた。

 なのに、鏡也さんは全く動揺しない。

「……それでぼくを睨んでるつもりなの」

ある意味そうだろう。日本中を恐怖と混乱に陥れた連続凶悪犯罪者を睨む田舎町の不良など、蟷螂の斧という表現が可笑しいくらいにぴったりだ。

 今一番、心中穏やかでないのはこの私だ。

 彼は喧嘩を売る相手を間違えている。ちなみに後ろに控えている仲間二人は何も言わず何も動かない。腰巾着のようだ。

(不良の人、逃げて――!)

 そんな願いもむなしく、緑色の髪の不良は鏡也さんの胸倉を掴んで締め上げてしまった。

 それから五秒もしないうちに、不良は鏡也さんをすぐに離した。そしてなにも言わず、その場に倒れてしまう。

(ああ……!)

 私は頭を抱えたい衝動に駆られた。

「ひええー! ヒロキ、どうしちまったんだー!」

 背の高い派手な服の男の人がおののく。

 訳が分からないのも無理はない。

 鏡也さんが自分の歯に、嗅ぐと貧血に似た作用を起こすあの薬を塗っていたからだとわかるのは、実際に一度やられて種明かしまでされた私くらいだろう。それでも、今の手際は手品か魔法のように見えた。

(だって、何もしてないからなあ……)

「きみたちもこうなりたいなら止めないよ。かかっておいで」

 凶悪犯は、この上なく冷たい目つきと冷たい声で残りの弱すぎる二人に言い放つ。

「ひいいー!」

 二人は一目散に退散した。太ったほうは途中で転び、緑髪の不良は放置されたままだ。

「ふー、まったくもう」

 鏡也さんがため息をつき、そこで私はようやく分かった。

 助けられたのだ。

 この、強すぎる、怖すぎる、凶悪犯罪者に。

「あ、あの、ありがとう……」

「ううん、ごめんね純子。やっぱり純子も連れて行けばよかった。すぐ戻れば大丈夫だと思ってたんだけど、怖い思いさせちゃったよね」

 申し訳なさそうに、鏡也さんは頭をかいた。そして、口をもごもごやったかと思うと、ぺっと地面に唾を吐いた。歯につけた薬を落としたらしい。そんなアバウトなやり方で落ちるのか。

「綿菓子買いに行く時、あの子たちとすれ違ったんだ。胸騒ぎがしたんだ」

 これも犯罪者の勘、悪人の勘なのだろうか。

「まあとにかく、今度こそ綿菓子買いにいこっ。さ、純子」

 彼は手を差しのべた。

 私は何も迷わず、その手を握って。

 自分の手が震えていたのだと、そこでようやく気付いた。

 鏡也さんの手は、優しかった。

 鏡也さんの手は、頼もしかった。

 鏡也さんの手は、ひんやりしているけれどどこか温かかった。

「……ありがと、鏡也さん」

「どういたしまして」

 

 

 綿菓子を買って、食べながら神社の鳥居をくぐろうとする。

 するとそこで、女の子二人組に遭遇した。

 一人は六,七歳程度、もう一人は十歳程度に見えた。

「ほらもう泣かないでよ……」

「あー! あー! ふうせんー!」

「新しいの買いたくても、お金はもうないし家に戻ってまた来たらお店は閉まっちゃうし、しょうがないじゃない……」

 どうやら小さい子は姉と思しきその子に風船を買ってもらったが、何らかの理由でなくしたか飛ばしてしまったらしい。

 私たちはつい立ち止って、そんな二人のやり取りを眺めていた。

 妹らしい、小さいほうの女の子はずっと泣き続けていたが、私に――むしろ私の抱いたぬいぐるみに気がつくと、少し大人しくなって、

「クマさんんんー……」

 私の抱いているクマを指さし、涙声でそう言った。

「あれはあのお姉ちゃんのだからダメだよ……」

 姉は、風船の代わりにぬいぐるみを欲しがる妹を律しようとする。

「いいよ、あげる」

 そんな少女たちに、鏡也さんは答えていた。

「えっ、でも……」

「あげるよ」

 戸惑う姉にもう一度そう言い、彼は私からぬいぐるみを受け取ろうとする。その直前に、確認するように「いいよね?」と言った。

 もともと、射的で得たものだ。

 多少は欲しかったけれどもそこまで執着はない。

 それにこの幼子が泣きやむのならそれでもよかった。

 私は鏡也さんにぬいぐるみを渡し、彼は妹にそれを抱かせた。

「わーい!」

「あっ、あの、ありがとうございます……!」

 妹は喜んではしゃぎ、姉は丁寧に私たちに頭を下げていた。

「ほら、しおりもお兄さんとお姉ちゃんにありがとう言って」

「おにいちゃん、おねえちゃん、ありがとう!」

 すっかり元気を取り戻した幼子は、涙目のままだったけれどもまぶしい笑顔でそう言った。

 

 

「ごめんね、純。あのぬいぐるみ、惜しかった?」

 神社を出て、あたりに誰もいない帰り道で、やおら鏡也さんは口を開いた。

 もう誰も見ていないし聞いていないので、私を偽名ではなく本名で呼んでいた。

「いいよ、別に。もともと鏡也さんが落としてくれたぬいぐるみだし、鏡也さんの物みたいなもんだもん」

「そっか」

 両手を頭の後ろで組んで、彼は歩き続ける。

「やさしいんだね、鏡也さんって」

「そう、かな?」

鏡也さんは信じられないという風に聞き返した。

 けれど、彼は優しい。

 先の不良を倒した時に見せた冷酷な面もある。

 日本中を騒がせ、罪のない人間の目をえぐった残虐な面もある。

 けれど、このような優しい面もある。

 とても穏やかな表情で、あの姉妹にぬいぐるみを渡していた。

 どれが本当の鏡也さんなのか。

 すべて本当なのか、あるいはどれか一つが真なのか。

(やっぱり私は、確かめてみたいよ)

 そう思った。

「あっ、ホタル」

 鏡也さんがそう言って、足を速めて歩いていく。

 見ると確かに、小川を渡る太鼓橋の下、いくつもの小さな光が飛び交っていた。

(ああ、この小川、鏡也さんとはしゃいでた、あの小川だ)

 私も小さな橋まで歩いていき、彼の隣で橋げたからその光景を見下ろす。

「きれいだ……」

 鏡也さんはそうつぶやいた。

 あとはずっと、動かずにホタルを眺めていた。

 ぼんやり、ゆらゆらした光。きれいだけれど、どこか儚く、頼りない光。

「純はさ」

 動かないまま、鏡也さんは私に聞いた。

「ホタルって見たことある?」

「ないよ」

 博物館にならいるのかもしれないが、都会でこうした、自然なままのホタルを見ることはきっと不可能だと思う。現に私は見たことがないし、東京のどこで見れるのかなどは知らない。

「ホタルと言えばさ、ゲンジボタルってのをみんな最初に思い浮かべると思う」

 確かによく聞く名前だ。

「そのゲンジボタルなら、人工で飼育したり、都会で放すこともあるんだって」

「そうなんだ……」

「でも、こいつらはゲンジボタルじゃない。ヘイケボタルっていうんだ。見分け方は、ゲンジボタルが綺麗な渓流に住むのに対して、こいつらはここみたいに田んぼがある所に住む。水が少しくらい汚れていても、生きていけるんだって。それにこの時期にこうして光るのは、どっちみちヘイケボタルだけだしね。ゲンジはもう光ってない」

「ふうん……」

 正直、そこまで興味は持てなかった。

 ホタルの種類でそんな風に違いがあることは知らなかったし、知ってどうするというつもりもなかった。

「ゲンジと違って、こいつらは光が弱いんだって。それだけじゃなくて、ゲンジみたいに飛びまわり続けられなくて、あちこちで休憩する」

 たしかに、飛んでいるものもいればその場で光っているものも多い。

「ぼくはね、こいつらを見るたびに不思議に思うんだ」

「なにが?」

「ゲンジボタルは有名だし、生きていく環境が限られてるからって、みんなで積極的に守っていこうとしているそうだよ」

 そんな話はどこかで聞いたような気がする。「ホタルが住める川を」とか「ホタルの渓谷を汚さないで」といった感じでだ。

「でも、本当に弱いのはヘイケボタルなんじゃないかなって。光の強さも、飛びまわれるだけの力も、こいつらはゲンジより弱いんだよ。それなのに、住処があるからって、わりと汚れた水でも生きていけるからって、こいつらを守ってくれる活動はあんまりないんだそうだよ」

「…………」

「弱いって、何なんだろうねって、いつも思うんだ」

「…………」

 私はどう答えたらいいのかわからなかった。

「ねえ、純。純の思ったままでいいんだ」

「…………」

「ぼくはさ、強く見える? それとも……弱く見えるかな?」

 私は考えた。

 何をもって強さ弱さを決めるかといった答は、私の中にはない。

 けれど、わからないなりに、すぐそばの彼を見て思う。

 目をえぐり続け、警察だろうと不良だろうと、誰が相手でも物怖じせず、時に飄々、時に堂々とふるまう鏡也さん。

 いつも私に笑顔を向けて、子供のようにはしゃぎ、遊びまわる鏡也さん。

 私だけじゃなく、先の姉妹にぬいぐるみを手渡したような、何の見返りも求めず笑顔のために心を砕く鏡也さん。

 そして、時折漏らす言葉と、時折見せるさみしそうな顔を持つ鏡也さん。

「鏡也さんは……」

「うん」

 彼は待っている。

 私の言葉を。

 彼はきっと望んでいる。

 こう言われることを。

 そしてそれは、嘘偽りのない、私の考え、私の答えと一緒だった。

「……弱いと、思うよ」

 だから、それを聞いた彼は、安心したように笑った。

「そっか……弱いんだ、ぼくは。……ふふっ」

 ヘイケボタルの朧な光は、彼の表情を見せるには力不足だった。




     


クリアパーツ入口へ  小説置き場へ  トップページへ

inserted by FC2 system