第三章    縮まらない距離は罪の意識の深さ

 

 

 午前中の授業が終わり、一息つこうとする。

「やっほー上杉くん!」

「ぐはあ、変なボディアタック!」

 そんな暇などなかった。クラス一のハイテンション女子が満面の笑顔で突っ込んできたからだ。

「ねえねえ、さっき返ってきた古文のテストどうだった? え、私? あのね聞いて驚いて、なんと105点だったんだよー! ありえないでしょ!」

「ああそうか、よかったな」

 中間試験が終わり、再び授業が始まっていた。

授業では試験の答案が返却され、試験明けの一回目の授業は大概その解説に充てられた。

今日も午前中で答案が三教科ほど返ってきたが、おおむね成績は良好だった。

一年生前半の頃のようなトップクラスの成績ではないものの、平均点以上の点数は取ることができていた。

試験二週間前から、毎日図書室に残り開耶と一緒に勉強してきた成果の賜物だった。

「これで私の信頼度はまたしても大きく上昇、依頼主も増えるって寸法だよ! いやー、繁盛繁盛!」

「まだそれやってるのか……」

「もちろんだよー!」

 木下は校内で商売をしている。

定期試験が近くなると、「依頼主」と一緒に勉強し、わからないところを丁寧に教えているのだ。そして時間に合わせて金を受け取っている。それがまた下手な塾や家庭教師よりも分かりやすいとのことで、試験前の図書室はいつも順番待ちの生徒で満員だという。

「しかし、いいのかアングラに商売して」

「才能と名前を最大限に活かしてるだけだよ、お金をもらってるのは信頼の証ってわけ。私自身がテストで九十五点以下が一つでもあったら、頂いたお金は全額お返ししてるし、安心なシステムでしょ」

もちろん学校側に露見してはまずいことだろうが、彼女が生徒にとって有益な存在だからか、それが教師たちに発覚されたことはないらしい。

「どうしてそこまで金が要るんだ。奨学金だってもらってるんだろう」

「あ、それには聞くも涙、語るも涙のストーリーがあるんだよう……私の彼氏がね、手術費に一千万かかる重い病気なんだ……うぐっ、だから私は、うっ、こうして、うっふ、必死にお金を稼いでだね……」

「嘘だろう……」

 笑いながら泣き真似をして語る様子を見れば誰だって見破れる。それに本当にそうだとしたらそれは軽々しく口に出せないことではないだろうか。第一、成績優秀容姿端麗文武両道、商売している以外は品行方正でおまけに気さくで一視同仁する彼女は高嶺の花過ぎるせいか浮いた話など何一つない。

 すると彼女のふざけた表情が元に戻って、快活な笑顔になる。

「まっ、これも親孝行みたいなもんだよ。上杉くんも今度来たら? 三十分で五百円のとこ、四百円にしたげるよ? 男の子に人気な、空き教室で一対一コースだと七百円だけど」

「いや、いい。僕は開耶に教えてもらって、今回はなかなかの成績が取れた。……あ、その開耶が待ってるんだ、じゃあ」

「あらまー。あ、じゃあせめて、私が触ったシャーペン買ってかない? 何か知らないけどこれも男の子に大人気なんだよね、大量に仕入れて……」

 最後まで聞かず、僕は教室を出た。

 

 

僕と開耶は校舎本館の三階から出られる、別館の屋上庭園で昼食にしていた。

広くもなく狭くもない庭園で、周囲に植物が植えてあり、一見良い環境だが、身を乗り出して外を眺めると住宅地しかなく殺風景だった。

僕と開耶は、そんな屋上庭園を二人の場所と決め、付き合い始めてからはそこで昼食をとることにしていた。

「どうだった、今日返ってきたテスト」

「開耶のおかげで、ずいぶん良くなった。開耶、教え上手だ。返ってきた点数を見て、改めてそう思った」

「よかった……役に立てたかなって、心配だったんだよ。でもその様子なら、わたしも安心して大丈夫かな……」

「これからも、試験前になったら頼もうかな」

「それはやっぱりダメだよ、毎日ちょっとずつやってたほうがいいよ」

「なら少しずつでも、教えてくれるか」

「うんうん……双葉さん、覚え早いから、そのうちわたしなんか追い越して、わたしが教えてもらうようになっちゃうかも」

 敬語なしの開耶の会話も、始めこそ不自然だったものの、今では自然に僕と話すことができている。

僕としても、そのほうが気楽で良かった。

「そういえば双葉さんってさ、お昼、いつもそうやってパンとかおにぎりとかで、平気?」

「ああ、別に平気だ。こういうのはこういうのでなかなか美味しいんだ」

「ん……おせっかいかもしれないけど、お弁当のほうがいいよ、安上がりだし、栄養もあるし……お母さん、作ってくれないの?」

「………」

「あ、あれ?」

 つい黙ってしまった僕に、開耶は不安そうな声を出していた。

「あ、ああ、済まない……そうだな、作ってはくれない」

「双葉さん、ごめん……もしかして、双葉さんのお母さんは……」

「生きてるよ、腹立つくらい元気にな」

「そ、そう……」

 それでも、僕のもの言いから何かをつかんだのか、神崎は済まなそうな顔をして、誤魔化すかのように紙パックのジュースを一気に飲む。ちゅーっ、と可愛らしい音がした。

それを飲み終えてから、神崎は紙パックを横に置いて言った。

「もしよかったら、お弁当作ろうか?」

「マジか……?」

「料理くらいしか、とりえないし……わたしとおんなじのなら、作る手間もほとんど一緒だから。もちろん、これが食べたいな、ってリクエストしてくれれば、それを作るよ」

 開耶の弁当。

今日に限らず、開耶の食べているそれはどこからどう見ても手作りの弁当だ。

以前、開耶はご飯を自分で作っていると言っていた。

羨ましいと思っていた。

その神崎が、弁当を僕のために作ってくれるという。

「なら、作って欲しい」

何の迷いもなく、僕はそう頼んでいた。

「うん、わかった」

 またひとつ、楽しみができたことが嬉しかった。

学校生活に、これから先に、楽しみが。

 

 

「試験も終わったし、文化祭が近づいてきたんだよ! どんな出し物やりたいか、みんな好きなだけ言っちゃってー!」

 開耶が弁当を作ってくれる、その喜びの余韻に浸ったまま午後の授業が過ぎ、最後の時限、週一回行われるロングホームルームの時間が来た。

学級委員の木下が、相も変わらぬ元気さでクラスを引っ張っている。今日のお題は文化祭に何をするか、のようだ。

お化け屋敷という白い文字が、真っ先に黒板に書かれた。

焼き蕎麦、カレー、クレープ、などの飲食物系の文字が続く。影の薄い男子の学級委員は黒板に向かい、黙々と女子の声を文字にしていく。

僕のクラスは文系であり、クラス内の女子は男子の三倍近い人数が在籍している。

女子の声でクラスが動く場合がほとんどであり、この時も例外ではなかった。

僕は特にこだわりを持っていなかったから、最終的に決まる出し物で構わないと思っていた。

 文字が黒板にひしめきあい、やがてひとつふたつと消え、お化け屋敷、カレー、ジェットコースター、お好み焼きの四つになった。

(なんだ、ジェットコースターって……)

「じゃあ、紙配るから無記名でやりたい出し物書いて! この四つ以外は無効にしちゃうからね!」

男子学級委員が小さな紙を各列の最前の人間に渡し、それがやがて回ってくる。

 僕はカレーと書いた紙を前に送った。カレーが好きで、作るとしても楽だからだ。

集まった紙が木下のもとへ届く。

しばらく無言で集計していた木下は、教卓から顔を上げて高らかに告げる。

「カレー、だね!」

黒板のほうを向き、カレー以外の出し物をすべて消し、カレーの文字を何色ものチョークで派手に囲った。

(カレーに決まったか……開耶も今頃四組で出し物を決めている頃かな……)

 どんなことを考えていても、すぐにその考えの中に開耶を持ってきてしまう。最近はずっとそうだった。

今頃開耶は勉強しているのかな、開耶は今風呂に入っているのだろうか、開耶はもう寝てしまったのか、と。

(僕は……大丈夫なのか)

「なーに、ぼーっとしてんの、上杉くん」

斜め後ろから声を掛けられた。女の子の声で、よく知った声だ。

振り向くと、山口が頬杖をついてこちらを見ていた。にやにやしている。

「彼女のことでも考えてたかなー?」

 僕が開耶と正式に付き合っているということは、だんだん周知の事実になっていた。それでも開耶が攻撃されたりすることはないようで、僕の不安も薄れかけていた。

一度開耶を助けたあの時の行動の効果は、まだ残っているらしい。

「だとしたら、なんだ」

「お、当たった? いやー、見るからにそれっぽい顔してたから」

「悪かったな」

「そんなこと言ってないじゃん。でもさ、なんかそういう上杉くん、自然でいいよ。上杉くんの顔が、表情が、自然」

「自然……」

「そそ、今まですっごい不自然だったもん、口つぐんでブッスーっとしちゃってさ。もうちょっと普通にしたらいいのにって、あたし思ってたもん」

「悪かったな……」

先ほど口に出した言葉をもう一度言った。

「そんなふうに上杉くんの顔を自然にしてるのは、彼女のおかげかな?」

「だとしたら、なんだ」

 これも先ほど口に出していた。

「だとしたら、きみたち二人はいい恋愛してるよ」

「いや、恋愛するなんて、僕たちは……」

 恋愛、という言葉が僕と開耶にあてはまるのだろうか。

そんな僕の無言の問いには当然山口は答えず、話を続けた。

「あたしもちょっとずつ分かるようになってきたんだけどさ、恋愛にはいい恋愛と悪い恋愛ってのがあるんだよ。悪いのは、二人でずるずる行って、お互いをダメにしちゃうやつ。

いい恋愛ってやつは、お互いがお互いを大事に想って、いろんな意味でお互いにいい方向に向かっていくやつ。んま、あたしの考えだから、言いきれないんだけどね」

「……で、僕たちはいい方だと……?」

「うん、上杉くんと神崎さんはいい恋愛してるってあたし思うよ。上杉くんは今に限らず最近表情が自然だし、神崎さんのほうも、秀明が言うにはなんだか前と比べて元気になってるって」

一息で長く説明したのに、まだ淀まずに山口は話し続ける。陸上部は肺活量も鍛えられるのだろうか。

それはいいとしても、僕の表情はここしばらくでそうも自然になっているというのか。

高城が僕に対し、丸くなっていると言ったのも、そういうことなのだろうか。

自分ではわからない。

「上杉くんは、壁をやたら作っててさ、誰も寄せ付けない感じだったじゃん。あたしだって友達になるためにどれほど頑張ったことか、うう、思い出すだけで涙が出てくるよー」

山口はわざとらしい泣き真似をする。どうも今日は泣き真似をされることが多いのだが。

「いや、別に友達じゃないと思……」

「そこ否定しないでよー! 友達なの! ねっ!」

山口は泣き真似をやめて突っ込み、それから「んもー」と声を挟んでからまた続けた。

「いつも心を開きましょう、そうすれば開いた心の窓から爽やかな風が吹き込んで、とってもいい気持ちになれます、なーんて、そんなのは小学校の道徳の時間でしかまかり通らないよ。人を見たら泥棒と思えってやつだよ、この世の中。だから、壁は必要だよ」

「そうだろうな」

「でもね、だからこそかな、この人は自分にとって本当に必要だって気づいたら、その時は壁を全部取り払ってみるといいんだ。っていうか、たぶんその時が来たら自分から壁を取っちゃいたいって思えるんじゃないかなあ?」

「それが、僕にとっては開耶、ということか」

「まあまあ、焦っちゃダメ」

 山口は掌を突き付けた。制止の合図のようだ。

「それはもうちょっと、自分の中でゆっくり考えて決めることだよ。神崎さんが、ほんとうに自分にとって大切な人なのかはね。あたしも秀明のこと、いっぱい考えたしね。まあでも、今あたしが上杉くんに言えることは、彼女を大切にしてあげてねってくらい。それが、そうすることが、神崎さんにはもちろん、上杉くん自身にとってもいいことのはずだから。友達としてのアドバイス」

「いや、別に友達じゃないと……」

「友達なのー! 何でそこをかたくなに否定すんの!? 上杉くんとあたしは……」

「こらー、そこの二人、さっきからおしゃべりしてー! すとーっぷ!」

まだ話そうとする山口を、ついでに僕を、学級委員が止めていた。

     

 

 


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