「ちっと撮り過ぎたかな?」
五本目のフィルムをカメラから取り出し、人見透真(ひとみとうま)はフィルムを入れ替えながらつぶやいた。
フリージャーナリストである彼は、一週間ほど前に発生した大地震の被災地であるひとつの村に単身乗り込み、そこの風景や被災者の言葉などを集めていた。
いつも通り順調にことが運んでいる。
(今度の取材も、ここまでは成功と言えば成功か。しかし、多数の死傷者が出ている上に、村の住居の三割は崩れた……この村が負った痛手を考えると、自分だけが喜んでいいのだろうか)
今撮影したばかりの崩れた一軒家を眺めながら、透真はそう自問する。
朝靄にかかった元建造物は、不気味な存在感をかもし出していた。
それはまるで、この大地震を呪うかのように、
それだけが目的と化してしまったように、
それはただ、そこにあった。
「……いかん、俺はジャーナリストだ」
彼はいつものように、声に出して自分の存在を確認した。
首を横に振り、今考えていたことを脳から振り払おうとする。
そして、改めて目の前の廃屋を眺める。
「……なんだ?」
透真の目が見開かれた。
ジャーナリストの目ではなく、文字通りの意味で自分の目が大きく開かれた。
先ほどまで見えなかったものが、家だったそれの屋根の上に乗っていた。
それは、空を見上げる女の子だった。
そこに埋もれた願い
その救いは遅すぎたのか。あるいは――。
前編
(いやいやいや、いたかあんな女の子?)
透真は目を疑った。
先ほどまで自分が見ていた倒壊した家には、屋根の上どころか周りにも人はいなかったはずだ。
しかし、彼が見ていたものは家全体であって、屋根を注視していたわけではない。
もしかしたら、単に見落としていただけかも知れない。
(それでも、普通いたら気づくよな)
透真は疑問に思った。
同時に、自分の目が信じられなくなった。
(まあ、いいか)
見落としていた、今はそれでいい。
ジャーナリストとしては無理のある言い訳を自分にし、屋根の上の女の子に声をかける。
「おーい! そんなところにいたら、危ないぞー!」
もう崩れているのだが、いつさらに崩れるかわからない家の残骸だ。
少しばかり、透真は焦った。
「んー? なにー? 聞こえなーい!」
女の子が、声に気づいてこちらを向く。
黒髪を両側で縛っていた。縛った髪は、肩に届くか届かないか、といった長さだった。
それが、透真を見下ろす首の動きに連動して、わずかに揺れた。
歳は13歳か、14歳ほどに見えた。
「降りてこーい!」
透真は、再度叫ぶ。
「あははは、わかったよう! なに必死になってるのー?」
陽気に笑って、女の子は屋根から下りようとした。
そしてそこで、足を滑らせた。
女の子は、鞠のようにころころと転げ落ちていく。
「あらー!」
「うっ……うわあああ!!」
元から崩れているから、高さはない。
だが、この衝撃で雪崩のように瓦礫が崩れてきたら。
無我夢中で透真は、女の子の転がり落ちる地点に走りこんだ。
転がってくる女の子を捕まえ、走りこむ勢いのままダイビングで家から離れる。
ひどく不恰好に、もつれ合った二人は地を滑った。
「危ねえ……崩れはしなかったか」
伏せた格好のまま振り返り、家の残骸を確認する。透真は胸をなでおろした。
「ぎゃーっはっはっは! おもしろーい!」
そのすぐ近くで、同じように伏せたままの女の子の爆笑が聞こえた。
「面白いものか! 一歩間違えたらお前も俺も死んでたぞ!」
「いやー、奈々一生の不覚だねー! ありがと、おじさん! 奈々の命の恩人だよー!」
「おじさん言うな! 俺はまだ31だ!」
「じゃあやっぱりおじさんじゃーん! 30超えたらおじさんだよー!」
「ばっ、ばかものー! おじさんだと自分で認めた時点でもう後戻りできなくなるんだよ!
とくに毛根あたりがな!」
相手が妙にテンションが高く、加えて生命の危機からひとまず脱したこともあり、透真のテンションも相手につられて高くなっていく。
「え、それヅラなのおじさん?」
「違う! まだ地毛だ! やめろ髪の毛の話は! 逃げたらどうする……! というか、おじさんって呼ぶな……俺にはちゃんと人見透真という名前があるんだ……」
おじさんと呼ばれ続けたせいか、徐々に透真のほうのテンションが下がってきた。
奈々と自分で言った女の子はその場から立ち上がり、相変わらず高いテンションのまま、続ける。
「そっかー、透真さんだね! あたし、奈々! 犬吠埼奈々(いぬぼうざきなな)だよ、よろしくねー!」
「はいはい、わかったわかった」
呆れながら、透真も立ち上がる。
「まあまあ、無事だったんだしさ、いいじゃない」
「無事……って、待てよ!」
「ん?」
無事、という言葉で、透真は思い出した。
「カ、カメラ!」
自分が命の次に大事にしている、いつもいつも現場を共に駆け回ったカメラのことを。
首にかけていたカメラは、先ほどのダイビングで盛大に地にぶつけ、そのあと思い切り地面を擦っていた。
カメラはジャーナリストの必需品である。カメラひとつだけで取材を行う者もいる。
透真はメモ帳やボイスレコーダーも持って行くタイプだが、それでもカメラが取材において一番使用頻度が高くなることに変わりはない。
透真はすぐさまカメラを掲げ、壊れていないか、確かめた。
(頼むぞ……ちゃんと動いてくれよ……)
が、その願いは文字どおりに壊れていた。
「動かん……」
修理が必要なほど損傷していた自分の相棒を抱え、透真は嘆く。
「あらま、困っちゃったねえ」
「お前のせいだろうが……」
透真にはもう怒る元気もなく、ぽろっと脱力気味にこぼした。
「俺の大事な高かったカメラが……まあ、フィルムのほうは無事だし、予備があるからいいというものの……」
「ふーん? 透真さんって何してる人なの?」
「俺か? 俺はジャーナリストってやつだ」
奈々のほうを向き右手を握り、親指を自分の顔に向け、誇らしげに透真は言った。
「このカメラを片手に……まあ俺は特にこういう被災地へ赴き、そこでの全てを切り取って世間に伝える仕事だ」
「へー」
「……ちゃんと聞いてるか?」
「聞いてるよう。だからこういう物々しい壊れた家とか撮ってたんでしょ?」
「まあな……ん?」
自分の家の言い方にしては、ぞんざいだった。妙に思って、透真は聞いていた。
「この家はお前の家じゃないのか?」
しかし、奈々の言葉は否定だった。
「え、しらない」
「は?じゃあなんでこの家にいる?」
「んー、わかんない」
「親や兄弟は」
「わかんない。今どこにいるんだろ」
淡々と、知らない、わからないと答える奈々。
(嘘をついているようには見えない……もしや、この地震に巻き込まれ、記憶を失っているのか)
透真はそう推測した。
「これから、どうするつもりだ」
「わかんない……」
最後の「わかんない」だけは声を落として、奈々は答えた。
「そうか」
その落ち込んだ様子を見ているのがつらく、透真は視線を逸らし、空へと向けた。
日が高くなってきていた。
喧騒が聞こえた。
視線を目の高さに戻すと、人々が動いているのが視認できた。
自衛隊、救護隊、そして村人。
「もう、朝か」
透真にとっても、ここからが一日の本格的な活動となる。
(その前に、この女の子だな)
村の病院はこの地震で痛手を負い、機能していない。
避難所の一つに村長たち村の役人がいることを思い出した。
そこへかけあってみようかと思い、透真は振り向きざま提案した。
「おい奈々、お前はとりあえず……」
透真の言葉は途切れた。
奈々の姿は、朝靄のように消えていた。
残されたのは、透真だけ。
「あいつ……どこへ行ったんだ……」
「透真さんって、今までどんな写真撮ってきたの?」
夕方、取材を終えてから、朝の廃屋へもう一度行ってみると、そこには待っていたかのように奈々が瓦礫に腰かけていた。
どうして急にいなくなったんだ、という透真の問いには答えなかった。あちこち歩いて疲れた彼は、それ以上聞く気にもなれず、奈々の隣に腰をおろした。
そんな彼に、奈々はそう聞いていた。
「写真が見たいなら、ここを見ろ」
透真はメモ用紙を一枚破ると、そこにアルファベットや記号の羅列を書き込んでいき、奈々に手渡した。
「なにこれ?」
「俺のブログだ。本買うの嫌ならここへ行け。全部じゃないが結構あるはずだ」
「あたし、パソコンいじったことないなあ」
「マジか?」
「なんか壊しちゃいそうで怖くてね」
「ああ、なるほど納得だ」
透真は朝方、この廃屋を崩しそうになったこの少女の挙動、そして実際に壊されたカメラのことを思い出して言った。
「ひっどいなあー」
それでも奈々は怒ったりせず、照れ隠しのように笑う。
「それで、どんな写真撮ってきたの?」
そして、話を戻した。
「朝もちょっと言ったと思うが、こういう被災地によく行く。地震だけでなく、津波とか、洪水とか、あとはめったにないが火山が噴火した麓とか」
「ふーん」
嫌な印象でも喚起させられたのか、奈々は少し顔色を曇らせた。
「暗いイメージばっかりだと思うが、そうでもないぞ。そんな中で懸命に生きようとしている人達は、すごく輝いていると俺は思う」
「そうなんだ?」
「ああ、そういう人たちから元気をもらえるのも、この仕事、この方向を選んで良かったと思える時だな」
「へえ、楽しんでるんだ?」
「まあな。やりがいあるし、楽しいぞ。もちろん、辛いこともたくさんあるけどな。余所者に何が分かるんだとか言われたり、編集にはもっとエグい写真を撮ってこいとか言われたり、あとカメラを壊されたりとかな」
「ひえー」
「言っとくが、最後のはお前のしわざだぞ」
「あちゃ……」
やってしまった、とばかりに奈々は額を軽くたたく。
「まあいい。別に怒ってない」
「そう?」
「ああ、過ぎたことをいつまでも根に持っても仕方ない」
そこまで透真が言った途端、奈々の声が異様に明るくなった。
「だよねー! 透真さん、最高! いい男! 壊れちゃったもんはしょうがないもんねー!」
ばんばんと彼の肩をたたき、能天気に言う。一方、透真は短い髪をかきむしり、ため息をついた。
「やれやれ……」
「でもさ、そんだけあっさり? さっぱり? まあとにかく前向きにしてれば、彼女とかも余裕でできるって、そのうち!」
「悪かったな、彼女がいなくて」
彼は一瞬、どうして自分のことを知っているんだとぎくりとしたが、すぐふて腐れたような声でそれだけ絞り出した。
透真は三十一年間生きてきて、女性と、いわゆる彼女以上の関係になったことがない。
物心ついたころから、あるいはそれ以前から、写真家である父の背中を見続けてきた。
真(まこと)を写すから写真なんだ、単に読み下しただけのその文句に幼い透真は心打たれ、大きく影響された。
透真という名前も、真実を見透かせるような男になるようにと父がつけたものだ。
自分のほうが収入も知名度も父を上回ってからも、透真は父を尊敬していた。
その父に初めてカメラを買ってもらってから今まで、彼の生涯はカメラとともにあり、それ以外に彼の人生を彩るものなどなかった。
「げげっ、もしかしてホントに年齢イコール彼女いない歴だったの?」
透真が回想に浸っていると、奈々はまたもやってしまったというように聞いてきた。
「やかましい……別にいいだろう、それに」
透真はそばに置いていたカバンから、カメラを引っ張り出して首に掛けながら立ち上がった。
「俺の彼女はこのカメラだ。そう、カメラが俺の恋人なんだ」
自分の胸元、ぶら下がったカメラを左手で大事そうに抱え、右手の人差し指でぴしっと指し、自分に酔っているかのようにそう言った。
「でもその恋人、ぶっ壊れちゃったね」
かく、と彼の人差し指が折れる。
次に膝を折り、天に向かって透真は吼えた。
「どっちくしょお――――――――!!」
それを見て、奈々は再び腹を抱えて笑い出す。
「ぎゃーっはっは! ほんと透真さんって面白―い! しかもさっきのセリフ、めちゃくちゃ寒かったよー!あんなこと素で言う人、あたし出会ったことなーい!」
透真はがくりとうなだれ、天から地面へと視線を落とす。
「くそう……なんてザマだ、カメラは壊れ自分の半分くらいの年齢の女の子に笑われ……俺のイメージが今日一日で完全に壊れてしまった……」
「まあまあ、元気出しなよ」
「こんな子供に励まされる俺ってなんだ……」
今の透真は、何を言っても元気が出ないだろう。
「お亡くなりになった恋人の代わりに、あたしが彼女になったげよっか?」
「うるさい……」
もう突っ込む元気もないらしい。
「そっか……残念だなあ」
奈々は、少しだけ声を落としてそう言った。
「なあ、奈々」
透真は顔を上げ、立ち上がって瓦礫に腰かけ直すと、隣の少女に尋ねる。
「お前、ほんとにこれからどうするんだ?」
「んー」
一応もっともらしく顎に手を当てているものの、まともに考えている様子ではないことは、透真にはわかった。
「透真さんちに泊めてもらおっかな?」
「俺の寝場所は車の中だ」
「そうだった、透真さんはこの村の人じゃなかったんだっけ、作戦失敗」
奈々は両手を頭の後ろで組んで、舌を出す。
「今まではどうしてたんだ」
「えっと……あれ?」
知らないらしい。
というより、覚えていない、らしい。
(やはり、記憶が…)
地震の際に頭を打ったのか、恐怖だろうか、地震があったことに対するショックで記憶を失ってしまったのか。
外からか内からか分からないが、記憶喪失の可能性は高そうだ。
(しかし、本当にまずいな。俺は医学にはそれほど明るくない……いや、心理学のほうに分類されるのか、これは?……いずれにしても、俺には手に負えん。だからといってこの子を放っておくわけにも……)
目の前には、思い出そうと首をひねっている奈々。
頭の上には、深さを増していく闇の黒。
(仕方ないな)
透真は決心した。
「よし、奈々、行くぞ」
「ん?どこに?」
「避難所のひとつだ。村の役人とかもそこにいた。そいつらに掛け合ってみる」
「ほー」
「後は知らん。俺は明後日には帰るから、おまえはおまえで身の振り方を何とかしてもらえ」
「うーん、まあいいけど」
状況を分かっていないのか、これから先にどうなるのか分かっていないのか。
奈々は相変わらず軽い口調で答え、歩き出す透真についていく。
村の小学校の体育館に入る。
そこには避難生活を続ける村人たち。
取材初日に来て見た時よりも、人間の数は少しだけ減っていた。自宅に帰れる人たちが、避難所を後にしたのだろう。
透真は「すいません」を連呼しながら、人の間を縫って体育館の一番奥まで歩いてゆく。
そこに、彼が見知った顔の集団があった。
「ああ、君か? なんだ、インタビューとやらはもう終わったんじゃないのか?」
集団の中で中央にいた男が、透真の姿を見て開口一番そう言う。
白髪で、分厚い黒い縁の眼鏡をかけた老人。この村の村長だった。
「今日はインタ……取材じゃない。ちょっと相談があってもう一度来たんだ」
「相談と?」
「ああ、実はこの子を……あれ?」
透真は驚いて、振り返ったまま固まった。
そこには奈々はいなかった。
視界に入るのは、人、人、人、荷物、荷物、荷物。
体育館を見回しても、黒髪を頭の両側で結んだ小柄な少女はどこにもいなかった。
「だれかと一緒だったのか?でもあんた、こっちに向かって歩いてくるときから一人だったぞ」
「なんだって?」
透真は信じられないとばかりに聞き返した。
奈々は、ずっと後ろをついてきていたとばかり思っていた。
(トイレか?)
透真は踵を返した。
「すまん、もう一度連れてくる」
そう言って、体育館を後にし、入口付近のトイレの前に行ってみた。
が、5分待っても、10分待っても、トイレから出てくる人間は奈々ではないものばかりだった。
トイレに入る女性と、トイレから出る女性に、変な眼差しを向けられる。
おかしいと思った。いくら待っても一向に奈々は出てこない。
出入り口、トイレの前、村長たちのいる場所を何度も行き来するが、奈々はいない。
(どこでなにしてるんだ、あいつは…)
30分も探すと、透真はさすがに疲れてきた。
「ええい、もう知るか」
思わず声に出していた。
もとより自分はただのジャーナリストなのだ。救護班でもレスキュー隊でもない。
自分の仕事だけを、していればいいのだ。
透真はあきらめて、もう一度村長のいる場所を確認すると、体育館の外に出た。
(…………)
そして、入口付近をうろうろし始める。
(やっぱり、気になるな)
透真は長いため息をついた。
「俺は、ジャーナリストなのに……」
来た道を戻る。
例の廃屋まで戻っても、奈々の姿はなかった。
誰も隠していなさそうな廃屋に向けて、その名前を呼んでみる。
返答は、やはりなかった。
(ったく……)
透真は呆れていた。
奈々の勝手さに、それ以上に自分の世話焼きな性分に。
透真は夜の道を、彼女を求めて捜し回った。
それでも奈々は、どこにもいなかった。
透真は自分の車の、運転席ではなく助手側のドアを開け、中に入った。
ダッシュボードからノートパソコンを取り出し、簡単に今日一日の取材の記録をまとめる。
それが済むと、今度は自分のブログを更新し始めた。呟きながら、それと同じ文字を打ち込んでいく。
「へ・ん・な・や・つ・が……や・ね・の・う・え・に……あ・ら・わ……」
外から、自分の車を軽くたたく音が聞こえて、透真はそちらの方向を、呟きながら窓越しに見やって。
「れえええっ!? ぐあっ! うおおお……」
驚いて後ろにのけぞり、腰をギアのレバーにぶつけた。
もがいてうめく透真を窓の外から見て、笑う者がいる。
透真は震える指で窓を開けるボタンを押し、それがドアの内側に飲み込まれるのを待たず叫んでいた。
「お前、どこでなにしてたんだよ!?」
叫ばれたほうは、左手で腹を抱え、右手の人差し指で透真を指さしてけたけたと笑い続ける。
「ぎゃーっはっは、いーっひっひっひ! 透真さん、びっくりしすぎー! あーおっかしい、あっはっはー」
「いいから今すぐ答えないと、味噌汁の具にして避難所に持ってくぞ」
透真は怒りと苦しみで、指だけではなく全身がぷるぷると震えている。
「わかったから、ちょっと入れてくれる?」
あまりの図々しさに辟易しつつ、透真は後部座席のロックを解除した。とたん、無遠慮にその少女が入ってくる。
「で、おまえはどこで何してたんだ」
奈々が腰を落ち着けるのを確認してから、透真はいまだに痛む腰を押さえながら振り向いて同じことを聞いた。
「ええっと……」
答えを渋っている奈々の様子を見て、透真は答えを求めず話を先に進める。
「お前の身の振りをなんとかしようと……まあ俺は取り次ぐだけだが、してやってるんだろう」
「う、うん……」
「それなのに、朝も、さっきも、突然いなくなって」
「ご、ごめんよう」
気まずそうに、奈々は謝った。
透真はため息をひとつ吐いてから続ける。
「俺は別に、そこまで必死に何とかしてやりたいわけじゃないんだ。けど、おまえ自身の問題だろ」
「ありゃ、お説教モード?」
奈々の顔には、やばい、と書いてあるように透真には見えた。
「やっぱりあたし逃げる!」
「待てい」
ドアを開けて逃げようとする奈々を、透真はむんずと捕まえる。
「ぎゃーっ! 助けてえー! 変なおじさんに車の中で、ピーッ、されるうー!」
いかがわしいことを伏せるための電子音を口で言う人間に、透真は今まで出会ったことがない。
「やかましい! 狭いレンタカーの中で暴れるな! そして俺のイメージをこれ以上壊すな!」
30超えた男と、15にも満たない女の子が車の中で暴れまわる姿は、傍から見ればかなり異様な光景だろう。
ひとしきり暴れてから、奈々はおとなしくなって。
「怖かったん、だもん」
ぽろっと漏らすように、そう言った。
「怖かった?」
「先に進むのが、怖くって……一歩踏み出したら、なにかが変わっちゃいそうで……それはあたしに限らないで、人なら当り前のことなんだけど、あたしにはそれがすっごく怖い」
「だからって、現状に留まっているつもりか?それでも俺は構わんが、時間がたてば否応なく先へ進まなければいけない、それが人間だ」
奈々は黙って頷く。
先ほどの異様な元気が嘘のように、奈々は小さくなっていた。
ぴったり閉じた脚の間に、祈るような形に合わせた両手を挟み、視点は自分の足元に向いている。
「俺は明後日の朝にはここを出て東京に戻る。そうしたら、あとは自分で、あるいは他の誰かの力を借りてどうにかしなければいけない。それともあれか、俺は別に何もしなくてもいいのか?」
「ん……」
奈々は何事か考えているようだった。
そして。
「ねえ、透真さん」
「なんだ」
「明後日帰るってことは、明日はまだここでお仕事するんだよね?」
「ああ」
「あたしもついてっていい?」
「はあ?」
突拍子もなく提案する奈々に、透真は驚きを隠せずにいた。
「ダメかな……邪魔?」
「い、いや明日はもう総仕上げみたいな感じだし、昨日や今日みたくそんなに動いたりはしないが……」
こいつは何がしたいんだと、彼は思った。
「じゃあ、いいの?」
奈々の顔が、少しだけ明るくなった。それを見てしまったら、透真にはもう断る口上が思いつかなくて。
「しゃあない、いいだろう」
そう言ってしまっていた。
「ほんと? ありがとう!」
顔がぱっと輝いた。元気を取り戻したように見えた。
「やれやれ、やっぱりお前にはそういう笑顔とテンションのほうが合ってるな」
透真がそう言うと、奈々はまた無邪気に小さく笑った。
寝るところはどうするつもりだと聞く透真に、それはすでに確保してあるから心配しないでと奈々は言い、ドアを開けて闇の中へ消えていく。
送っていこうかと言う透真にも、大丈夫だからと言い、奈々は一人で出て行った。
「ふう……」
透真はシートを倒し、横になった。
避難所から借りた毛布をかけ、目を閉じる。
が、なかなか寝付けなかった。
朝に出会い、夕方に出会い、そして先ほどにも出会った少女が、脳裏をちらつく。
(どうしてあいつは、俺の前に現れたり消えたりするんだ…)
先に進むのが怖いといい、逃げるように行方をくらませ、またひょっこり目の前に現れる。
神出鬼没とも呼べる彼女、それが透真には不思議で仕方なかった。
(それに、記憶がないような、あの様子も気になる)
記憶を失っているらしい彼女は、自分がこの村を去った後でもああして笑っていられるのだろうか。
無邪気に、無遠慮に、無垢に。
「ああ、いかん、俺はジャーナリストだ」
今度は声に出して、首をぶんぶんと横に振って考えをやめようとする。
いつもの彼の口癖が出た。
自分は、ジャーナリストであると。
ジャーナリストは、しかも今の自分のような、データマンと呼ばれる種類のそれは、あくまで記事や素材をメディアに提供するだけ。
私見や感情などは極力挟まず、中立的な立場にあり、時に冷徹に、時に生々しすぎるほどのアプローチが必要だ。
五年ほど前、フリーで活動し始めたばかりのころ、透真は海外の大津波の被災地に取材に行ったことがある。そこで家と家族を全て失った被災者の老婆に同情の言葉を投げかけたとたん、それまで淡々としていた老婆が突然感情を爆発させ、喚きながらあたりの物を自分に投げつけてきた。
ひどく驚いた。
そういったことがあってから、彼は仕事のときだけではなく、生活の全てにおいて私情をあまり出さないようになってきていた。
それがジャーナリストである自分として、当然のことだと思うようになっている。ゆえに、何であれ感情を移入してはいけないと自分に言い聞かせてきた。
鳥や虫が群がる人の死体であれ、死にかけた人間であれ、あるいはわずかな食料を必死で奪い合う人間たちであれ、彼はそこに何の感情も挟まず写真を撮り続けた。
そんな姿勢で撮影を続け、周囲の評価はこんなだった。
――ジャーナリストとしてはともかく、人としては最低だ。
それも彼にとっては褒め言葉だった。
自分は間違っていない、ジャーナリストとしてこれでいい、そう思っている。感情など挟んではいけない、そう今一度思って、脳から奈々のことを振り払う。
そして、明日の取材のことを考えようとした。
(明日は、奈々もついてくる)
奈々とともに取材をする、その光景を脳裏に思い描いて。
「だーかーら、俺はジャーナリストだって言ってるだろう!」
誰に言うでもなく、声に出して自分を咎めた。